2014,08/20 ??:??
軍隊とは群体である。
それが一万人の有象無象であれ、それが千人の叢雲であれ、それが百人の
上下関係、左右関係、縦横斜めエトセトラ。如何な関係にも意義があり、しかしその全てに平等に意味がない。
代わりがあるからだ。最前線で一人の兵士が死のうとも、後方で指揮官が殺されようとも、すべてに均等に代わりがある。
有能であることは素晴らしい。けれどそれに依存しては群が成り立たない。だから個性は早々に摘み取られるのだ。機構(システム)を丁寧に維持する為には、時には頭脳ですら据げ代えられる。
代わりがないのは
──さて、
一つの意志の完遂の為、個が有する真っ白い意識を大義の青で塗り潰し、暴力で真っ赤に染め上げる。混ざり合った二色は高貴な紫ではなく、生存への決意に満ちた濃厚な黒だ。
生存とは一人ではなく二人が、二人ではなく三人が、三人ではなく多くが、多くではなく沢山が生き残ることだ。多ければ多いほど、そこに社会が残る。風俗も文化も個人の意志も、すべてが社会を構築する部品だ。すべて平等にかけがえがない。けれどすべてを平等には守りきれない。
だから、個を殺す。部品を一つ犠牲にして、もっと沢山の部品を生かす。一人より百人の命を、百人より一万人の命を。社会が生き残ってこそ、個人のかけがえのなさに意味がある。
私は瞼を開いて、音を意識した。
眼下に広がる
ただ違うのはその存在。虚ろな真空ではなく、確固として
この叢雲の意志こそが、私。そして
死に近しい命令を下しても、きっと彼らは
それ(・・)は二百年の間研ぎ澄まされた妄執の上に成り立っている──復讐の意志は。
私は立ち上がる。側に控えたベルンハルトから杖を受け取り左手に握り、大将座の背に差し込まれた剣を右手に握り引き抜いた。
振り返り、睥睨する。高さ十フィート、墜ちれば容易く死ねるだろう──けれど、誰も殺してはくれないだろう。
決意することには慣れていなかった。結局の処、私は今まで大概の事を人のせい──機構のせいにしてきたのだ。群を駆り立て、追い立て、機構を維持して戦い続けるという、その名分に意志を押しつけてきたのだ。
王杖を横に、剣を縦に。
「王権は万人の上に平らかに、戦意は天を突く如く」。
意志を示す。叢雲のざわめきが何時の間にか途絶えていた。布の擦れ合う音さえ、もうしない。
今この時に至って私は漸く理解する。
結局の処、意志は機構の中心ではないのだ。ただ機構を動かしているだけで。
けれど、まぁそれもいいと思う。事この時に至って、初めて私は感覚したのだ。一体感──私は、彼らと共にあるということを。
それが錯覚であってもいい。
ただ、私は闇の中で独り惑う女ではなく、人の中で杖を振るう女王であるのだと。目の前に集う叢雲を見て、初めて知った。
だから、──
頬に決意を浮かべ、
剣に意志を
杖に心を封じ、
声に力を込めて、
私は
「前へ!」
2014,08/20 ??:??
音は真空には轟かない。
けれど確実にその音は何かを震わせていた。
石造りの暗い部屋は酷く広く、人が凍え死ぬほどに寒い。
何故か。此処は氷室であるからだ。生存の為に構築されたのではなく、ただ保存の為に構築された部屋。
壁にも床にも整然と、棺桶のような半透明の匣が部屋を埋め尽くしている。それぞれが黄緑色の濁った溶液で満たされていた。一定区画ごとに立っている石柱を除いて、この部屋には匣しかない。。
──いや、ただ一つ例外があった。暗い部屋の中心一フィート四方。匣がなく、床が露出している。
そこには男が一人立っていた。片手に大理石の板を持ち、瞼を閉じ、額に汗を浮かべて朗々と詠っている。
明かりの中に部屋の果ては見えない。何処までも連綿と匣が続いている。その表面を男の声が何処までも滑っていく。
声が長い時間を掛けて部屋の果てに到達し、部屋の四隅に掛けられたガラスの鈴をりん、と小さく鳴らした時、ぶん、と小さな音が幾つも幾つも、幾つも幾つも幾つも幾つも幾つも幾つも幾つも幾つも幾つも幾つも幾つも幾つも幾つも幾つも幾つも幾つも幾つも幾つも幾つも幾つも幾つも幾つも幾つも幾つも幾つも幾つも幾つも幾つも幾つも幾つも幾つも幾つも幾つも幾つも幾つも幾つも幾つも鳴って、部屋を席巻する。その小さな震動は、しかし混ざり合い、積み重なって怒濤と成り部屋の中央に押し寄せた。びりびりと全身に響く音に男は苦悶の表情を浮かべ、しかし音に圧されぬようなお声を高めて詠い続ける。
りん、りん、りん、りん……。
鈴は幾度も鳴り、その音がやがて部屋の中央に届く。男は声をぴたりと止め、片手に持った石版を掲げた。
エメラルドの光を浴びた匣の中、黄緑色の液体から、真っ赤な心臓が浮き上がり、やがて血流が流れ出す。
流れ行く血から赤い脳髄が浮き上がり、それを灰色の大脳がくるんで、白い頭蓋が脳を包む。その時には既に全身の骨格が完成していた。その骨格に神経と赤と青の血管が絡んで、筋肉がそれを包み……、そして幾つもの行程を経て、最後に白い肌がその全てを包み、乳白色の体毛が現れる。
細い手が伸びて、匣の蓋を押す。軽い力を掛けただけで蓋はゆっくりと開いていった。
部屋の中心から放射状にその変化は行われていく。数瞬のタイムラグだけが差異。同心円を描いて匣の蓋はぴたりと同時に開き、中身はざば、と黄緑色の溶液を跳ね散らかしながらまったく同じ動きで立ち上がった。その溶液の飛び散る様のみが同じではない。
立ち上がったのは同じ顔をした少女であった。部屋の中を延々と、エメラルドの光に照らされた同じ顔が埋め尽くしている。その瞳は血の紅で、視線は部屋の中央の男に据えられた。幾度も幾度も少女達は立ち上がり……やがて壁の箱全てから少女が現れて、部屋の中は静寂に包まれた。
男は瞼を開き──戦慄する。部屋の果てから中心まで、真っ赤な瞳がエメラルドの光を反射していた。音の波に震わされた時よりも強く、視線が身体を震わせる。
男は石版を懐にしまい込み、小さく震えながら部屋の端、自分の位置からは見えない出口を指差す。同じ顔の少女達はまったく同時にこくりと頷き、濡れた身体から溶液を滴らせながら、整然と隊列を組んで歩き始めた。
暗い部屋。
古く、広く、装飾も調度もない。
照明はないが、隙間も見えない程つるつるに磨き込まれた床石がぼんやりとした光を放っている。
部屋の四隅には石の台座に据え付けられた黒い鉄の大皿があり、中には油がなみなみと満たされている。今は既に火が投じられ、ごうごうと音を立てて燃え盛っていた。
しかし今はそれすらも圧する音がそこには在った。
薄い明かりに照らされ、浮かび上がるのは叢雲。数多の男が、そして女が、声を合わせ詠っている。
やがて彼らの詠唱は高まり……そして極点を経て沈黙する。詠う声は現実に響かず、今や外世界に轟いていた。その姿は巨大な光球となり、床から浮き上がっている。
数瞬後、光球は壁を突き抜け夜の果てをかけ始めた。地球に向かって。
そして誰もいなくなった部屋に同じ顔の少女達が現れる。誰も喋らない。詠わない。ただ整然と隊列を組み始めた。
部屋には全ての少女は収まりきらない。長い廊下に連綿と少女の軍列は続いている。まるで長い長い白蟻の列のように、暗闇を突き抜けていた。
正方形の部屋の中、正方形の隊列を組んだ少女たちは右手を虚空に伸ばす。途端、まるで闇が凝固したかのようにその手を這い上がって身体を黒が包み、黒い長袖のワンピースが纏われた。頭には尖ったつばの広い帽子、そして延ばした手には箒が握られている。
部屋の入り口に透明な障壁が三枚降りた。ごぅん、と音がして、やがてゆっくりと天井が、壁が二つに割れていく。少女たちは箒に跨り、じっと正面を見つめる。
やがて壁が完全に開いた。青い光が強く闇を切り裂いていく。
少女たちは虚空──真空に浮遊していた。正方形の隊列はまったく崩れることなく、そのままゆっくりと下方に降下する。全員が部屋のあった領域から離れた直後、背後で壁がゆっくりと閉じた。
軍列の先頭、黒いワンピースの少女は眼下に見える青い星をぴたりと指差す。全ての少女がそれに倣う。
百万人の黒い少女の軍列が、地球に向かって降下を開始した。
その日各国で、三つの巨大な青い光球と、真夜中の空を押し潰すように飛ぶ、長い長い真っ黒な渡り鳥の群が目撃された。
天文学的な大発見であるとか、異常気象の前触れであるとか、翌日多くのメディアがさんざんに騒ぎ立てたが──、結局、その真実を知ることになったのは極少数に過ぎず、それは決して明かされることはなかった。
誰も知らない。
それがたった四日間の戦争の幕開けだったということを。
Interlude out...