2014,08/21 ??:??

 遙けき天を軍列が征く。

 人は未だ大気の外を、否、大気の内側でも、自由に空を飛ぶことは出来ない。空を飛ぶという機能はそもそも人間のものではないからだ。
 本来の構造に付随しない行動パターンを、人間は道具を生み出すことによってやってのける。
 それは即ち燃焼によって推進力を得ることであり、形状によって揚力を得ることであり、風を受け止めて空を舞うことであり、天を目指して駆け抜けることであり、また地を目指して墜ちていくことである。
 そのどれも、人は人だけの力で行うことは出来ない。

 本来は。

 その軍列は、けれどもただ人の力だけで自立して其処にあった。
 高度五百キロ。細く長い軍列は、大気圏の外から現れ其処に滞留している。
 軍列を為す総数、百と一万人。それは現在月軌道内部に侵入しようとしている巨大な岩塊──“要塞”から現れ、やがて眼下に広がる大地に攻め入ろうと時を待つ戦力である。
 外世界(アゥセア・ヴェルト)に移行し光球体に化身した彼らを支配するのは物理世界の法則ではなく、故に人のあるべからざる超高空に在ることが出来た。

 己が背後に連なる長大な軍列を見、甲冑の女騎士は己の身たる光球を人型に変化させる。腰の鞘から引き抜いたのは、幾重にも呪文を刻み込まれた銀の長剣。それは軍列を率いる将の証。
 彼女が剣を掲げると、軍列は緩慢に動作を開始する。それは巨大な獣が身体を動かす為にゆっくりと動くのによく似ていた。個々の動作そのものは決して遅くはなく、しかしそのスケール故に鈍重に見える。
 軍列の先端部、一万人の軍装の男女が四千、二千、四千の三列に分かれ、残る百万の黒衣の少女もまた、四十万、二十万、四十万の群となってその後ろに整列していく。百万人の少女の動作は画一的で、一万人の男女が並ぶよりもスムーズにその整列は行われた。
 人間の存在を許さないはずの高度に、百と一万の群が三個の軍列を為す。
 女騎士は掲げた剣である一方を指した。まず一つ、四十万と四千の塊が反転し、そちらに向かって隊列を組み直す。
 さらにその剣を別の一方に向ける。もう一つの四十万と四千の塊がそちらを向く。
 最後に女騎士は剣を天上に掲げ──そして真下に向けて振り下ろした。

 途端、二つの軍列は弾けるようにそれぞれに指し示された方角を目掛けて突き進み、そして残る二十万と二千の軍列は剣の指し示した方向……即ち真下に向かって駆け下り始めた。

 ただ一人、そのまま軍列の潮流の中心に立ち、その背後を見送った女騎士は振り下ろした剣を腰の鞘に納める。
 彼女は眼下の島国を見下ろしてにたり(・・・)と笑った。
 既に地上には三人の“女王候補”──戦力としては精鋭一万人に等しい──、さらに二十万の『魔女兵』と二千人の精鋭。これだけの戦力ならばこの島国の推定兵力の三倍を壊滅させるのにも十分だ。
 そうして我々はついに帰るべき楽土を手に入れる。三百年昔に放逐された大地への帰還、それは彼女の──否、彼女達(・・・)の悲願であった。
 即ちこれは失地回復戦争(レコンキスタ)だ。……ただし私達を殺戮し放逐した教会のそれ(・・)とは違う──正統な報復。
 彼女は笑みを深める。三百年、否、七百年(・・・)の長きに渡って舐めた辛酸を、ついに刃に引き延ばし、突き刺す時が来たのだから。

 百と一万の軍列──魔女狩りの復讐者、夜の果てからのレコンキスタ、三百年前からの帰還者、報復の十字軍は、音も無く戦場に向かっていく。
 滑るように宙を駆けて。


2014,08/21 04:38

 見上げた空には未だ陽が昇らず、青年──阿部貴康は猛る己を鎮める為に冷たい大気を深呼吸する。清浄な酸素が血中を駆け巡り古い汚濁を流し去る錯覚……しかしそれは信じれば事実だ。三度の深呼吸。三分の一ずつ流された汚濁が長唱の如く細く口から流れ出る。呼吸法による安定。サングラス越しの視覚は暗く、落ち着くには丁度良い沈鬱さだ。
 青年のすぐそばの木立ががさりと鳴り、その影からぺたりぺたり(・・・・・・)と歩み出て来たのは二人の少女──いや童女と言うべきか。
 双方共に年の頃なら七つか八つ、身の丈は百三十センチあるかないか、といった処の娘に、青年は深々と一礼する。身長百八十センチの黒服の青年が七五三のような着物姿──だが死に装束のように真っ白だ──の童女に畏まった様子で頭を下げる様は外様から見れば少々滑稽に見えるだろう……が、両者とも特におかしいと思っている様子はない。
「……足下に、お気を付け下さい」
 青年の言葉にただ頷いて童女たちは各々一枚の銅鏡を胸元に捧げ持ち、しずしずと歩いていく。
 二人の童女の装束──否、全て(・・)は左右対称であった。髪の分け目も、着物の袷も、まったく鏡に映したかのように対称を為している。
 玉砂利の敷き詰められた広場──其処には人の気配がない。今現在人が存在しないのではなく、使われたことがない、永らく人の手が触れていない……酷く古びた印象を醸し出していた。その中央には同じく古びた一台の祭壇が設えられている。
 童女たちは玉砂利を踏んで祭壇に近づき、壇の左右に備えられた台に各々の鏡を置く。
「のう、澳津」
「なんじゃ、辺津」
 童女たちが言葉を交わす。その老婆のような言葉使いは祭壇と同じように酷く古びていて、けれど二人に全く良く似合っていた。身体ではなく、心の齢に。
「この祭壇、以前に使うたのは如何ほど前のことじゃったかのぅ」
「はて、この前の戦時ではなかったかの。五、六十年も前のことだと思うたが」
「その程度じゃったか。どうも定かではないな」
 その姿に相応しからぬ会話を交わしながら、童女二人はゆっくりと祭壇から離れる。

 言葉の表す通り、二人は見ての通りの童女ではない。
 澳津媛(おうづひめ)辺津媛(へつひめ)
 神道の神典たる『古事記』、『日本書紀』。そのどちらにも記載がなく、ただ物部氏の伝承を伝える『旧事本紀(くじほんき)』にのみ記載された十種の神宝(トクサノカンダカラ)に含まれる二枚の鏡に封じられた二柱の神霊(・・)こそが彼女たちの実体である。

 青年は二人を見、そして天を仰ぐ。時は至り、東の空は闇が駆逐され始めていた。
「頃合いじゃな」
「始めようか」
 童女は声を掛け合い、己の捧げた鏡を見る。面に映るのは左右対称の己──二組四人の童女が鏡面を介して場に存在する。
 しゃん、と音が鳴った。何時の間にか二人の両の手に神楽鈴が握られ、涼やかな音が大気を掻き鳴らす。緩やかに二人の四肢が動き、それは即ち舞となる。
 瀟、と篠笛が鳴った。右の鏡から流れ出るその音は鏡の中の童女が奏でている。
 続いて、とん、と一つ打音が鳴り、すぐに連なって拍子となった。左の鏡から鳴るそれは、同じく鏡面の童女が奏でている。
 四つの音はすぐに一つの音曲となって滑らかに流れていく。舞い踊る鏡外の二人はじりじりと動き、祭壇の回りを緩やかに回り始めた。

「……何黄昏てンのヨ」
 唐突に背後から掛かった声に、しかし青年はたじろぐこともなく振り向いて、
「……朝焼けの時刻だ」
 と応える。いつの間にか背後に現れた女──生玉は、
「そういうこッちゃないわヨ」
 肩を竦めて苦く笑う。阿部は応えずただ彼女を見据える。
「……追撃、外されたんだってネ?」
 女は笑いを消し、淡々と言った。
「……ああ」
 彼は吐息を押し出すように肯く。
「アア……ってサ、いいのあンたそれデ?」
 訝しげな表情で見る生玉に阿部は、
「熱に浮かされていたようなものだからな……今は冷静になった。それだけだ」
 答え、サングラスの下で瞑目する。
「重要なのは『約束』よりも『誓約』だ。
 俺はこの国の為に在ると誓った……それは何よりも早く、生まれた直後に為された誓約だ。
 ──熱病のように定めた約束とは違う」
 ふぅん、と生玉は納得がいかない顔で肯き、
「……ま、いいけどネ」
 そうして阿部に背を向けた。
「判ってるならいいノ。私達が──探湯という異物(・・)を覗く私達『防衛局抗魔課』が、何をすべきカ判ってるなら、それでネ」
 太陽が遠い大地の影からゆっくりと現れる。その方向に向かって歩きながら、けれど生玉の名を持つ女は言った。
「……けど、あンたみたいな奴は──自分を押し込めるのが義務だと思ってるような奴は、本当の情動(・・・・・)に触れた時にそれが後をヒクのヨネ」
 眼を射す陽光は大地が制圧する。サングラス越しにも眩いその光に、青年は一度瞬く。その一瞬の間に女の姿は消え去っていた。
「……取り越し苦労ならいいけど、サ」
 ただ一言だけが耳元に残る。

 同時に、しゃん、と鈴の音が鳴り、童女たちの舞が止まった。楽の音もひたりと止まり、静寂が広場を包み込む。

「重要なのは……『約束』よりも『誓約』だ」
 けれど青年の眼はそれを見ておらず、己に刻み込むように言葉を繰り返す。記憶の底に焼き付いた少女の姿を掻き消すように。


 二枚の鏡に与えられた力は、映した姿に栄えを与える事。
 そして二枚の鏡は何時如何なる時もこの国(・・・)を映し続けてきた。
 故に鏡の力は護国。国の栄えの為に時空すら歪める。

 青年と童女たちの頭上、広場の直上十五キロメートルの地点でその変化は起きた。
 ぱりぱり(・・・・)と音を立て、青白い光が空中を走る。それは中空の一点を中心に空を駆け抜け、分岐し連結し、また分岐しまた連結して、放射型のパターンを造りながら広がり落ちて行く。僅か数秒で半径十五キロの巨大な蜘蛛の巣の半球体が其処に現れた。

 そして数十秒の後。
 蜘蛛の巣のさらに上空から大地に向かって駆け下りる二十万と二千の軍勢は、しかし不自然な落下軌道を描いて半球体の天頂に向かって邁進し始めた。
 真下に向かって直進していく軌道は明らかにねじ曲がり、目標点として設定された国会議事堂を遙かに逸れている。
 軍勢の先端が天頂に触れた瞬間、半球体は音もなくばくり(・・・)と裂ける。まるで貪欲な獣の口蓋のように。軍勢は雪崩れるように半球体に飲み込まれていった。
 断裂した蜘蛛の巣から覗く空間、半径十五キロの円形の中には一つの()が存在する。
 そして軍勢の末尾が中に飛び込んだ瞬間、開いた半球は音も無く(あぎと)を閉じた。断裂した蜘蛛の巣は再び半球体に戻り、その形を一つと為した瞬間に消滅する。
 後に残された空間には、何一つ異変は起こっていなかった。断裂した中に覗いた街も其処にはない──全く違う街並みが広がっている。

 即ち、この時点で日本に於ける戦いは完全に封鎖された(・・・・・・・・)──。

第九幕「闘争の一致」

2014,08/22 06:45

「やられてるわね」
 彼女の言葉の意味がぼく(・・)には判らない。
「何が?」
 だから訳も分からず聞き返すという能無しの真似事をするしかないわけだ。
 けれど、黒髪(ブルネット)の少女──イコは僕の問いに答えようとはせず、
「ウル」
 ただ僕の斜め後ろのもう一人の少女に声を掛けた。
「…………」
 ウルは腰のレイピアの柄に手を掛け、一瞬瞑目する。
 瞬間的な憎悪の増大──空気の裂ける音──視線が空中を走り──

 ぎゃんッ!

 嫌な音を立てて空間が弾けた(・・・・・・)
「ひゃっ」
 ぼくは声を上げながら飛び退いた。ウルの視線の威力よりもそれを止める何かがあることが恐ろしい。
「……随分強い境界線(ライン)が構築されてるのね」
 イコは面倒そうな溜息と共に呟く。僕はまた、能無しの真似事をする。
「ライン?」
 今度は鸚鵡返し。さっきより愚かだ。今度はウルの方を見てみる。
「…………」
 けれどウルは応えない……というより僕を見ていない。その視線はまっすぐにさっきの空間(・・)を睨み付けている。その眼に本物の殺気が籠もり始めたのが見えて、僕は二歩下がった。

 ウルはどうでもいい物事でも憎悪することが出来る。それは酷く希有な能力で、しかし誰にでも身に付けられるものだ。
 大概の人間の感情には動機がある。本当に理由のない感情など滅多にない。一目惚れだとか気が合わないとか、一見理由のないことでも其処には必ず「不一致」という理由がある──何が一致しないのかと言えばそれは様々なのだけれど。
 動機がない場合、人間は感情を動かさない。それが「どうでもいい」ということだ。だから「どうでもいいことを憎める」という人間は希有なのだ。
 けれど、それを身に付ける方法──状況があり、それに馴染めば馴染むほど人は簡単に「どうでもいい」ことを憎悪出来るようになる。

 その状況とは主観的な不幸(・・・・・・)だ。

 己が不幸であると認識した時から人は全てを憎悪する能力を得る。そしてそれが永い時間をかけて精神に定着すると、人は簡単に憎悪する能力を得る。
 けれど普通なら、普通に生きているならば、そんなことにはならない。主観的な不幸の中にも幸福はあるし、マイナスの自己認識は外部から矯正される。それは他者の不利益を招くからだ。
 自分の不幸を嘆いているものは有益な機能を持たない。他者はそれを正そうとする。それは自己の権益の為でもあるし、社会の維持の為でもある──特に人口が少なければその傾向は顕著だ。それが「心配する」という感情の動機になる。
 しかし、主観的な不幸が他者にとって都合が良ければ是正は行われない。

 ウルの機能は殺人だ。
 その機能を構成するのは殺意と能力。
 そして殺意と能力の原動は憎悪で、憎悪の原動は主観的不幸だ。
 だから、彼女が主観的に不幸であることには何の問題もなく、故に是正され得ない。
 理由さえ在ればすべてを憎み、殺す。理由も報酬も必要なく、ただ殺意を代行することの可能な殺人者は有益(・・)だ──。

 理解するぼくの横で、ウルの手がレイピアの柄を握る。呪詛と切断と憎悪、三種が複合すれば大概の力は粉砕出来るだろうけれど、
「……ウル」
 イコはただ名を呼んだだけだ。それだけでウルは殺気を納め、一歩下がる。その視線は僕を全く見ていない。
「無駄に疲れることないわ。折角専門家(・・・)がいるんだし」
 少女は口元に笑みを浮かべて僕を見た。ウルも無表情に視線を向けてくる。
「……あ、ぼく?」
「ここには私とウルと貴方しかいないわよ」
 イコは肩を竦めて見せる。……参ったな。
「……動くものしか切った事ないんだけどな」
 言いながらベルトに挟んだナイフを抜いて廻す。ぐるりと廻って刃が飛び出すその動きはまったく蝶(バタフライ)という名前に相応しい素敵な回転だ。
「で、何処?」
 ぼくの問いにウルが指したのはさっき弾けたあの空間だ。
「そんじゃやってみるかな……」
 適当に辺りを着ける──切るものすら定かでないから適当にせざるを得ないのだけれど。空中の一点、手応えも何もない其処に、
「……ひゅっ──」
 小さく息を吐いてナイフを突き込んだ。ついでに下に向かって引き下ろす。
 途端にナイフの刃が通り過ぎた処から、宙に張った布を切るみたいに空間がぱくりと裂けて、その裂け目から轟音(・・)が響いた。
「始まってるわ……急ぎましょう」
 呟くイコに肯くウル。二人はすぐに裂け目に向かって歩き始める。ぼくは裂け目の前で困惑した。
「ねえ」
 ぼくの声に二人は立ち止まらない。イコが振り向かないまま「何」とだけ答えた。
「……向こうで何をするの?」
 置いて行かれないように追いかけて、ぼくは裂け目の向こうに踏み込んだ。

 唐突に周囲は轟音──いや、爆音だらけになる。耳を聾するその音の中、笑いを含んだイコの声がやけにはっきり聞こえた。

「戦争よ。
 ……いえ、ただの殺し合いかしら?」


2014,08/22 12:00

 腕時計のアラームが正午を知らせた時、上空の敵影は見える範囲で当初の半分まで減少していた。
 阿部貴康はサングラスを取り、額に浮かんだ汗を拭う。数年掛けて造り溜めた手持ちの符も底をつき、自力で術を使わなければならない。符という補助素材なしでは元来式の早打ちを得意とする身でも酷く体力を消耗する行為だ。

 敵は多く、味方は少ない。
 敵に後はなく、味方にも後はない。
 そしてどちらの攻撃も十分に有効でお互いを削り合うしかない。

 焦燥は疲労を強め、ここ数年は荒れた事もなかった呼吸が今は肺を苦しめている。
 敵の攻撃の波は引いていた──見る間に敵が上空に上がっていく。相手も人間である以上休息が必要ということだ。望むらくはこのタイミングで攻撃を仕掛けることだが、
「……この様では……」
 力が入らない右手を左手で掴む。二日間の戦いの中で負った唯一の傷は右腕を穿ち、符を握るのにも支障が出ていた。
「大丈夫か?」
 背後からかかった馴染みのある声に振り向く。そこには細長い布包みを携えたスーツ姿の男が立っていた。
「……八握殿」
 姿勢を正した阿部に、八握はただ自然体で対する。
(つむぎ)の衆にもまだ余力がある。お前は下がって休め」
 しかし、と言いかけた阿部に、八握は右手を差し出す。その掌はひたりと阿部の顔面を覆った。
 指の隙間から垣間見える八握の眼は笑っている。
「私にも護らせろ」
 言って八握は手を離す。それでも阿部は言わざるを得ない。
「しかし、貴方の剣は……」
 阿部の言葉を八握が接ぐ。
「振るえば命を削る、か?
 ……此処で振るわず何時振るう」
 そう言って男は背を向ける。もはや語るべき言葉はないという意志。
「…………」
 その背に声を投げることも出来ず、阿部は唇を噛んだ。

 八握は周囲の開けた場所──さんざんに破壊された公園に踏み込んだ。数多の爆発痕が周囲の芝生を抉り、見る影もなく荒らしている。
 布包みを地面に突き立て、彼は空を見上げた。上空数千メートルを飛ぶ黒雲の如き敵影、その数凡そ十二、三万と言ったところか。
 ──すべて落とすなら四太刀……いや、足りないか。
 独言し、眼を細める。
 ──遠いな。
 この距離では落とし切れないかもしれない。相手が自分の射程に入り仕掛けて来た時こそ狙うべき機会だ。
 そう考えながら上空を見上げる。
 周囲に人の気配はない。ただ荒れた土地に立ち、彼は風を聴いていた。

 十数分、何もない時が流れる。
 ──まるで平時よりも穏当だ。
 八握は思って苦く笑った。
 ──常よりこうであれば、なぁ。
 彼は妻の事、息子の事を思う。
 家同士の繋がりで出会った妻は最近派手好みもなりを潜めて随分と丸くなった。三日前、此処に来る前に帰ったら新しい着物を買おうと言った時の笑顔がやわらかで、やけに心に残っている。
 二ヶ月前に十七になった息子は、八握の家系を嫌っている。それも仕方のないことだと彼は思っていた。国という茫漠とした見えないものの為に命を賭けるという事は特に若い頃には理解しがたいことだ。幼い頃から長く家を空け親として認められていない感のある私しか見ていないのだから、我が家の使命を息子は理解しないだろう。
 そしてふと、阿部の事を思う。彼は昔から酷く使命感の強い男だった。息子の歳には既に課員としての仕事に参加していた覚えがある。その姿を息子に重ねて、彼は強く思った。

 ──誰も、死なせられん。

 彼は微笑む。それは護るものを多く持つ者の揺るぎない心の表象。
 再び見上げた空に、ゆっくりと黒い影が広がっていく。横に広い隊列を組んだ敵影が、ゆっくりと高度を下げて来ていた。
 八握は布包みを縛る紐を解く。はらりと布が風を含んで舞い落ちる。

 現れたのは一降りの剣。漆塗りの鞘とは明らかに年代の違う、古代の剣だ。円盤状の鍔に六枚の葉状の装飾と、赤い絹糸を巻かれた柄。
 およそ四尺──十握(・・)もの長大な刃。その内柄本の八寸は黒く変色し、残る三尺二寸は陽光を反射して鈍く光っていた。
 天津神によって神代に用いられ、無銘故にその刃渡りを名として持ち……しかして力を減じ、その名は力の残る刃渡り──即ち八握(・・)に改められた宝剣。

 彼は剣を握り、持ち上げる。神代の名工の手になる剣は軽く、片手で振るうに足る。身を低く、剣を地に近く。下段に構え、上空の敵を睨み据える。
 代々宝剣を伝えるが故に着いた姓こそ八握。この世の中で現人神(アラヒトガミ)たる天皇を除き、八握の剣を扱えるものは彼とその息子のみ。
 そして人の身に一時神の力を与える代償に、宝剣は担い手の命を喰らう。故に生涯で剣を振るえるのはただ八度(・・・・)

 ごぉん、と音を立て、上空から火球が降る。八握は最小限の動きでその爆風から逃れた。
 彼は口元に笑みを浮かべる。敵影先端の高度はおよそ千二百メートル、射程内だ──私も敵も(・・・・)
 上空で複数の火球が燃焼し焼音を立てて落下し始めた。そのほとんどが八握の立つ公園を狙っている。
 瞬間、八握は数メートルを駆け抜けた。地を摺る切っ先が大地を抉り、剣は天を目掛けて旋回する。

「……ぬぅぅあぁぁぁぁァァッ!!」

 気合いの声と動作、そして意志に応じ、剣は神代からその身に蓄えた力を命を糧として光に変えた。
 地から天を目掛けて翔ける一閃は爆発的に延長し、光の先端はおよそ千五百メートルの長さに達する。
 そして光の刃は大気を裂き、白雲を裂き、落下する中途の火球を吹き飛ばして、滞空する黒い服の魔女の軍列を大きく薙ぎ払った──。

9th track "Synchronized" out...

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