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2004年01月18日
レビュー#4:仮面ライダー・ファイズ
まぁ、大方の予想通り尺の足りない感じの展開になってしまった555の最終回。しかし実に面白かった。
レビューというよりはほとんど感想文になってしまうけれど、思ったこと、考察など書き並べてみようかと思いました。以下ネタバレなのでextend内に。
555という物語全体を貫くテーマは「夢がない」ということ、そして「守りたいもの」だと思う。
劇中で美容師という夢に向かって進んでいく真理、「世界中の洗濯物を真っ白にする」という夢を見据えている啓太郎、幸せな暮らしがいつの間にか消えてしまい「人類とオルフェノクの共存」を夢見るようになる木場、ギタリストという夢が目の前で崩れ去った海堂。
初期登場人物の中で本当に夢を持っていなかったのは、巧、そして結花である。
結花はずっと夢を持たないままで劇中に存在し続ける。海堂への恋愛感情に依存する傾向はそれをなおさら加速させていた。「恋に夢を見て」いたのである。
(1/19追記:最初の方を見直して見たところ、結花が三話で啓太郎に送ったメールの中で、
「誰かを傷つける人なんて誰もいない、そんな場所に行ってみたい」
と書いている。しかしこれは結花の状況に対する反射のようなものでしかなく、結花は力を手に入れた時点で、自分が「傷つける人」になってしまった。故にこの夢は潰えて、以後ほとんど話題に上らない。)
しかし、40話からの「オルフェノク捕獲作戦」の中で彼女は急速に「恋の夢」から覚めていく。自分が既にオルフェノクであるという事実が彼女に恋の夢を見させない。啓太郎はそんな結花を救った。しかし結花は「人間」に殺されてしまう。
木場は「人類とオルフェノクの共存」を夢見ていたが、それは逆方から見れば「自分たちが平穏でありたい」という願望でもあった。故に、結花が死んだ時、その思いは消えてしまったのだろう。
「自分は一緒にいたかったのに、幸せであったのに、何故それを邪魔するのか」
この構図は、実は第一話時点の木場とほぼ変わらない。長い休眠で社会を奪われた木場は、既に一度多くを失っていた。大事なものを二度失うことに耐えられる人間は、そう多くはない。
「人間のせいだ……奴らが長田さんを……!」
そう思うしかなかったのだろう。そして、それは確かに間違っていなかった。
オルフェノク側で唯一人間を殺さなかった海堂は、逆に中途半端なものになってしまった。彼はおそらく劇中で一番人間的な存在として描かれている。
夢を望み、しかし潰え、見失って自暴自棄になって暗中を暴れ回っている。彼は基本的に弱い人間だ。それ故に「オルフェノク捕獲作戦」時には結花に対し攻撃的な態度に出た。そして結花が死んだ時も、そこから眼を逸らしている(尺の足りなさもあっただろうが、海堂が描写されなかったのはそのせいではないかと思う)。
木場の夢に同調し、照雄という「守るもの」を見つけることで見失ったものを取り戻したように思っていたが、その二つから彼は裏切られてしまった。
結局彼は自分の望みを自分でみつけるしかなく、そこには漠然と「みんなを守りたい」というものがあったのだろう。だから彼は最後まで戦った。力は足りなくても。
雅人は真理を愛していた。しかしその愛は一種盲目的で一方通行なもので、「真理だけが」守れればよかった。そして彼には夢がなかった。
澤田もまた真理を愛していた。しかし彼は強くなりたかった。「優しい」では自分を許せなかった。彼には夢があった。しかしそこには心がなかった。彼の心は真理の処に置き去りになっていたのだ。
三原は誰も愛していなかった。自己保身のみを考えていた。だが、守るものを見つけ、子供たちという「夢」をみつけた。
肉体的には戦いをくぐり抜けていない真理と啓太郎には別の立場があった。つまり、巧にとっての「守るもの」であり、巧を「守るもの」である。彼らは物語における「導師」であり、同時に「幼子」であったのだ。
最終的に、彼らは皆、戦うことを選んだ。
しかし、そこで生き残るには、夢も、守りたいものという人の心をとどめるものも、そして力も。すべてが必要だったのである。
「君は死ぬのが怖くないのか?」
「怖いさ…… だから一生懸命生きてんだよ!
人間を、守るために!」
「守る価値のないものを……守ってもしょうがない!」
この会話の時点で、木場は守るものを自分しか持っていなかった。
対して巧は真理を、啓太郎を、そして木場を、人間を守りたかった。
勝敗を分けたのは、思うものの強さではないだろうか。
木場の剣を肩で受け止めて、ブラスターランチャーを見舞う555の姿は、守りたいもの全てをその肩で支える、そんな力強さを持っていたと思う。
だから巧はこんな風に言えたのだろう。
「言ったはずだ……俺は人間を守るってな。
お前も、人間だ」
最終的にオルフェノクの王は覚醒し、冴子は真の力を得た。この時冴子の影が砕け散ったのは、完全に人間を捨てたということだろう。オルフェノクとして死ななくなるということは、人間として生きる必要がないということだ。恐らく姿も元には戻らないのだろう。
「まだ俺には分からない……何が正しいのか。
その答えを……君が俺に教えてくれ!」
そういってカイザに変身した木場は、夢を取り戻してはいなかった。しかし彼には守るべきものがあった。それは人間ではなく、きっと巧だったのだと思う。
「見つけようぜ……木場、三原。
俺達の答えを……
俺達の力で!」
巧のこの言葉が、555の最後を決める。
夢も守るものも、彼らの答えではないのだ。
人は美しく、弱く、しかし醜く、強いものだから、彼らはそれを決めることが出来なかった。
アークオルフェノクという絶対敵対存在と向かい合った時、彼らは本当に自分の答えを出すことになったのだ。
王を守るベルトで、王を倒すという、答えを。
青く燃えながら王を押さえ込むホースオルフェノク。
一瞬木場に戻り、頷く。そしてまたホースオルフェノクへ。
木場は結局人ではなく、オルフェノクとして死んだ。それは彼が人を殺してしまったが故だろうか? しかし彼は、やはり最後まで「人間」だった。
自分の心に振り回されてしまう、弱いただの男だった。
エンディングで、海堂は歌を歌っている。モチーフは恐らくオルフェノクだろうか? 最後まで「ぱからっぱからっ」と歌っているのは、木場のことを思っているのだろうか?
海堂の疑問に答えるような三原たちの会話。正直わかりやすい回答にしか思えないが、この物語の伝えたかったことは、きっとこれなのだろう。もっと深みもあるのだろうけれど。
残された日々を人間として生きていく琢磨。
王を守る冴子。
彼らの差異は結局「恐怖」。力を夢見たか、そうではなかったか。
琢磨という男は臆病で、だからこそオルフェノクになったのではないだろうか。彼は何れ灰になって死ぬだろうし、それまで怯え続けるだろうが、しかしそれは人として一番自然な姿だろうと思う。
巧がようやく持った夢は、本当にありがちな、でもとても純粋なもので。
「世界中の洗濯物が真っ白になるみたいに……みんなが、幸せになりますように」
きっと巧は、既に自分の死期を予期しているのだろう。
灰化は強靱な意志力で押さえ込めるもののようであるから、巧は最後まで強い意志で持って生きていくだろう。しかし、その最期は……残念ながら早いかもしれない。
だからこそ、巧は「みんなが幸せになりますように」と、恥ずかしいぐらいありがちで、だけどとても大きな素晴らしい夢を持ったのではないだろうか。
ファイズを見てきたこの一年間が終わることを少し寂しく思う。考えてみると特撮を毎週楽しみに最初から最後まで通して見たのは初めてだった。
ストーリーテリングの面で少々弱い部分もあったが、それは毎週30分という限られた枠の中でストーリーを展開させる上では仕方のないことであっただろう。番組的なものだけでなく、セールス的な要素も強い業界であるから、それは仕方のないことだ。
この先のファイズを描くことはきっと不可能ではない。だからこそ、ここで終わったことを嬉しく思う。彼らの未来を僕たちは想像することが出来る。彼らの「夢」の話は、ちゃんとここで終わったのだから。
今、最後まで物語を見てOP曲「Justiφ's」の歌詞をいくらか読み返すと、実に面白い。
信じていた未来に裏切られた彼らは、守り、戦い、信じ、疑うという終わらないジレンマを越えて、悲しみを繰り返して此処に辿り着いた。
実にいい歌詞だと思う。
最後まで本当に楽しませて貰った。満足している。
さて、次のライダーを楽しみに、毎週日曜のビデオをセットすることにしよう。すぐ来週に始まってしまうことだし。